頭のおかしいくらいの才能は
デザインにおいては非凡なくらい平凡な感覚に耳を傾ける姿勢だと思った
ロジックだけでは完結しない
五体満足な人間には 五感があるし、一つ欠けたとてどこかがより研ぎ澄まされるから

ほとんどの場合欠けてはいけないもの。


模倣のその先は平凡な感覚に立ち戻りなさい
行った来たしなさいと
東京出張でのメモ。

 

ロジカルの量も、平凡な感覚への気づきも、

それをストックする許容と、速度の、違いで でも
初めは量でしかないんだよって言われました。


キーパーソンみたいな人はいつもとっても身近にいることを 何年も忘れていたとは
ここに来て歯車が回って来たみたいな感覚。朝だなぁ

ただのメモです

くやしいがそのとおりだ、、、、、、、まとめてかたちにしてこそ、だ、、、

ひとつひとつが浅い意味がわかってた、きでいたのだけれど、、、、、

感情と向き合うのがいつもはやすぎるのか、ああ、、、ああはなりたくないとおもいつつも、やっっぱりそこは要領をえてるな、くそう

上司に対してちょっと負けたくないみたいなのを考えていた小娘です。

何にでもお金が発生する、その前提を

なんの抵抗もなく受け入れられる、無機質にラインをひけることが羨ましく、

自分にはそれがとてつもなく難しいので

悔しくもある

社会人だったら仕事の時はそういう人になりきるべきなのかなぁ?

私が思っていたとはちがう、デザインの世界、

でも これが見えてなかった現実なのかもなあ。

抗うべきか、自分の感情に従うべきか、学ぶべきか

簡単じゃないだろうけど 自分を殺さない程度に、身につけておくと生きやすい(仕事しやすい)スキルなのかもしれないなあ。

 

いつも うすっぺらいもんはつくりたくないと

ひとつひとつの作品に時間をかけすぎるんだけどそれはアートの世界だと思え、

次々出さないと次の情報をいれるスペースがなくなるし時間は有限

とにかく完成させること

って高校の先生に言われたん思い出した

 

完成させること、終わらせること

カテゴライズされた 「かたち」にすること

自分の今とびこんだ業界はまさにそこの部分をやってるってことを忘れていた

ひとりモヤモヤしてたってしかたがない

手段を考えて作り終えてみないと反省のしようがない

 

というのも、平面構成やったことないけどみててやりたいなー思ったのと

最近いろいろがあったことで気づいた

モチーフに意味を求めてはいけない

意味はあとから人間がつけるもんだって

オレンジの質感や水の質感、流れ落ちる時の見え方、法則、

かたいガラスに反射した時の模様やパンにフォークが刺さっているように見えるひとつひとつの線の造形

陰影がわかる配色、トーン、色相

オレンジやガラスを作るわけではなく、

目の前にあるモチーフが現実世界にあって人間がそれを視覚的に判断する時何を持って理解するのか

そこに気づくことが大切だったんだなあ

配置を決めて、かたちをとって、不自然なく書き取って色を決め、絵の具で色を塗り、一枚の作品に仕上げる、という、作業。を行う。われわれが手を動かし、お金をもらい、時間と労をついやすべきはそこ

 

わかってたつもりだった

手を動かしてモチーフを表現する段階では、

そこで感情と向き合う余地はなくフラットに、その対象に向き合うべき

 

 

そうはいえども、、

フライヤー一枚作るにも

予算内で納めるには色数を減らすのか?ロット減らすのか?データ入稿でデザインは受けないのか?選択肢が多くて自分でもこんがらがるし、

紙どんなのがいいとか色合いはここをこうしてほしいだとか

結局自分に害が及ばなければ相手の思った通りのもんにしてあげればいいんだろっていうどこか無責任な感情がせめぎあって

なかなか実際の行動に反映させるというのは難しい。

自分のことばがどれほどきれいごとの羅列だったか。

現実ってむずかしい〜〜

そして環境に慣れると、人にたいして感情をむき出しにするから自分が怖い。

自分に湧き上がる感情に、セーブをかけたい。

セーブをかける術が欲しい。。

 

 

ことばはテーマ

私はネガティブなことや皮肉はいくらでも言葉にするのに
美しいや好き、綺麗 と感じたものは 視覚表現に変換する癖があります

ふとポジティブなことや

美しいと思ったことを言葉で表現しようとしたら

ネガティブに比べ全く出てこないことに気づいて愕然としています。

(すごく面白いと思った本があるのに、感想文、かけない!要約、、できない!)

(楽しかった時の感想を写真の詰め合わせや一言で表せない!)

 

やばい!さいこう!

などの言葉で完結させているとだんだんと言葉が出なくなって行くものなんですね。

 

「ことば」はひとの考えや心を理解する材料だと思います。

現に、自分だって他人を推し量る判断材料はまさしく言葉。

 

そして他人ん中になんらかの感情を生む要因にも、なりうる。だから、

プラスの感情の言葉の表現幅を広める練習は普段からやっておいたほうがいいなぁ・・・と痛感しました。

多かれ少なかれ、人間は言葉が内包する意味や感情を感じ取る生き物だから

自分が受け取る場合、他人に投げる場合、その先の化学反応をある程度読める大人になりたいものですね。

 

 

よだん

 

私は絵を描くのが昔から好きでした。人と話すのが苦手なかわり、

紛れもない自己表現が許される白い空間や鉛筆の匂い。安心できる行為でした。

大人になって言葉というもの、社会というものを理解し使い方が複雑になるにつれ

絵を描けなくなりました。

いろんな理由を考えてますが

これも言葉で表現しようとするのはあえてやめてます。

ことばには、引っ張られるから。

意味がなくても、自分の感情に嘘をつかずに絵を描ける 子供はほんとうに無垢ですよね。

子供みたいなばーさんになるのが目標です。

 

はて、どの本の紹介(感想交え)しようかなあ。

読む本読む本発見があって毎日忙しいです(しあわせ)。

私が一生わからないかもしれないもの

大切なものだからこそ

近づくと

意図しない行動や言動で傷つけていないか

きになってしかたなく

結局うわべで過ごしてしまい

結果的に傷つけたのではないかと

おもいながらかえってきた

自分の大切なものが他人にとってもそうであることなんて

そう多くはないのに

わたしはそれを押し付けることで

大切な人を傷つけたのではないか

 

うーん

 

大切にしたいからこそ、距離をとる。

あると思います。

本の虫になりたい

まずはいいことを書きます。

最近ようやく

本を読むことに慣れてきて

活字に抵抗がなくなってきました。

というのも

二十数年間生きてきて 活字の羅列って内容に全然フォーカスしてませんでした

レイアウトや書体、改行や体裁だけは好きで、

言うなれば一枚の絵をみてる感覚。

肝心の読むという行為は全くといいほどしてきませんでしたへへ。

内容を頭に入れようとした瞬間眠くなるっていう一種の治らない体質みたいなもんだと思ってたんですけど

最近は本を集中して読むことが楽しくて楽しくて。。

 

ひとつひとつ、真に受けなければいけないんだという謎の固定概念を

ここ最近あるきっかけでやめた途端に

活字に対して構えることなく内容に入れるようになりました

 

読書ってとりあえずざーっと目で追う作業するだけで

一冊読み終えられるもんだなぁって実感しました。

そのなかで個人的なアンテナに引っかかるところを心に留めておけばオーケー

という雑な自分ルールをつくったら

途端にたのしくなって

読んでいないと心がおちつかなくなったりします

 

 

 

まぁ一番の理由は

モヤモヤして走る!あーって叫びながらとりあえず走る!って感じで

なんかに集中していないと

不安と焦りにのみこまれそうだからなんですけどね。

とりあえず読む!なんかわかんないけど

こういう系統の本を読んどかなきゃいけない気がするからひた読む!

読み漁る!

って感じです。

 

漠然とした不安はきえないけど

勘が赴く方向へ、とりあえず足をむけてみる、本を借りてみる、内容頭に入らなくても目で追うとかやってみれるようになったのは進歩だと思ってる

そんで、確実に、この勘は正しいと思う。根拠はない。

継続できるかどうかだけどなあ

 

 

 

 

ちなみに何を隠そう以前書いた問題集をやろう計画はガチで一ページも手をつけてませんへへ。

あの記事書き終わった時に確信したもんね。

「あ、私この問題集多分やんないわ」

絶対に

すきなことして稼いでやる。

 

そんでいいとこ住んでやるーーー!!!!!

ビジネス()

 

会社に自分が何かを巻き起こせるなどと

思っておりましたが

そもそも自己実現

商売のなかで行わなければならない枠なんてないわけで

 

会社でいやなことがあって

うちひしがれてはじめて

きづきました

 

 

 

・会社のなかの役職がほしいわけじゃない

・人間誰もお金が好きでお金を稼ぎたいんじゃない

 お金がほしいのは、お金で買える価値や、時間や、ことが欲しいわけです

 (たとえばブランドバッグならば

  ブランドバッグ持ってることで承認欲求が満たされる事を買う

別に財布やらポーチいれとくのに百均のトートバッグでも十分だし。)

 

・結局私は、気持ちとか、そういうソフトなものがほしい

・だからそもそも働きなくない

・ビジネスを面白く感じる義務なんかなかった

 

よって。。。。。。

仕事が自分を図る尺度だと思う事をやめました。

 

なんか作りたいんならおうちで勝手につくるし、会社通さないとしちゃいけないわけでもないし

 

私のつくったものを「いい」って「おもしろい」っていってくれる人がいたならば

その人や場所こそを大切にしようと思う。

 

逆に言えば

そういう時間を買うために、たとえば絵を描く。ために、画材買う。そのお金を

今の仕事で稼げたらいいかな。

 

っていうかんじで肩のちからがぬけました。

 

 

私という人間の中に 今の会社の社員であることは

全然重要じゃないし

絶対必要ではない。

でも、いい人はいるし、憎しみがあるわけでもない。お金も必要。

だから、自分が大切と思うものだけ大切にしてあとは深く考えなくていいや。

会社のために自分の何かをかえてしまう必要もない。

 

あー、社畜にかたあしつっこんでたけど

いい友達がいてよかったあ。

私の嫌いだった私を「でも自分はあなたを好き」といってくれる人がいてくれて

よかったあ。