ただのメモです

くやしいがそのとおりだ、、、、、、、まとめてかたちにしてこそ、だ、、、

ひとつひとつが浅い意味がわかってた、きでいたのだけれど、、、、、

感情と向き合うのがいつもはやすぎるのか、ああ、、、ああはなりたくないとおもいつつも、やっっぱりそこは要領をえてるな、くそう

上司に対してちょっと負けたくないみたいなのを考えていた小娘です。

何にでもお金が発生する、その前提を

なんの抵抗もなく受け入れられる、無機質にラインをひけることが羨ましく、

自分にはそれがとてつもなく難しいので

悔しくもある

社会人だったら仕事の時はそういう人になりきるべきなのかなぁ?

私が思っていたとはちがう、デザインの世界、

でも これが見えてなかった現実なのかもなあ。

抗うべきか、自分の感情に従うべきか、学ぶべきか

簡単じゃないだろうけど 自分を殺さない程度に、身につけておくと生きやすい(仕事しやすい)スキルなのかもしれないなあ。

 

いつも うすっぺらいもんはつくりたくないと

ひとつひとつの作品に時間をかけすぎるんだけどそれはアートの世界だと思え、

次々出さないと次の情報をいれるスペースがなくなるし時間は有限

とにかく完成させること

って高校の先生に言われたん思い出した

 

完成させること、終わらせること

カテゴライズされた 「かたち」にすること

自分の今とびこんだ業界はまさにそこの部分をやってるってことを忘れていた

ひとりモヤモヤしてたってしかたがない

手段を考えて作り終えてみないと反省のしようがない

 

というのも、平面構成やったことないけどみててやりたいなー思ったのと

最近いろいろがあったことで気づいた

モチーフに意味を求めてはいけない

意味はあとから人間がつけるもんだって

オレンジの質感や水の質感、流れ落ちる時の見え方、法則、

かたいガラスに反射した時の模様やパンにフォークが刺さっているように見えるひとつひとつの線の造形

陰影がわかる配色、トーン、色相

オレンジやガラスを作るわけではなく、

目の前にあるモチーフが現実世界にあって人間がそれを視覚的に判断する時何を持って理解するのか

そこに気づくことが大切だったんだなあ

配置を決めて、かたちをとって、不自然なく書き取って色を決め、絵の具で色を塗り、一枚の作品に仕上げる、という、作業。を行う。われわれが手を動かし、お金をもらい、時間と労をついやすべきはそこ

 

わかってたつもりだった

手を動かしてモチーフを表現する段階では、

そこで感情と向き合う余地はなくフラットに、その対象に向き合うべき

 

 

そうはいえども、、

フライヤー一枚作るにも

予算内で納めるには色数を減らすのか?ロット減らすのか?データ入稿でデザインは受けないのか?選択肢が多くて自分でもこんがらがるし、

紙どんなのがいいとか色合いはここをこうしてほしいだとか

結局自分に害が及ばなければ相手の思った通りのもんにしてあげればいいんだろっていうどこか無責任な感情がせめぎあって

なかなか実際の行動に反映させるというのは難しい。

自分のことばがどれほどきれいごとの羅列だったか。

現実ってむずかしい〜〜

そして環境に慣れると、人にたいして感情をむき出しにするから自分が怖い。

自分に湧き上がる感情に、セーブをかけたい。

セーブをかける術が欲しい。。